報われない恋だと知っていても

09.彼の秘密

今日1日で距離が近づいたようにも感じるけど、結局のところ水瀬の心は読めなくて、
紗夜は気持ちの置き場所に困った。
つまり、私は彼女になれることはないし、彼を諦めることもできない。
と、いうか他に彼氏を作らせてくれない、いや、それはそもそも無理だけど。

この中途半端な想いを引きずったまま、唇に甘い余韻を残し私はどこへ向かえばいいんだろう?

「ただぁ〜いま」

マンションのドアを開けた紗夜は、気の抜けた声を出しながら靴を脱いだ。
玄関には散らばった靴やハイヒールが散乱していて、彼女を文句を言いながらそれを揃えていく。
その中に有名ブランドの黒いヒールを見つけ、首をかしげた。
ユリヤのやつ、また新しい靴を買ったのかな?今度借りよ〜っと。
この時間帯ならユリヤは部屋で寝てて、昌也は出勤準備中だろう。
毎度のことながら出勤前はバタバタと忙しく走り回っている彼女(彼)を想像しながら、リビングのドアを開けた。
しかし、予想を反んしてリビングには昌也とユリア、それから知らない女性が賑やかな声でおしゃべりしていた。

「まぁ〜彩ちゃんったら!」
「ホントよ〜キャサリンだってそう思うでしょ〜?」
「あはは、ウケる。それ、紗夜が聞いたら悶絶するね」

んんん?お客さん?私が何だって?
ってか、キャサリン。昌也の事をそう呼ぶのはお店関係の人かな?

「あー、噂をすれば〜♪ 紗夜、おかえり〜」
「おかえり!早かったわね」
「どうも〜おじゃましてます〜」

昌也にユリヤ、それからメガネを掛けた知的美人なお姉さんが1人、それぞれ紗夜に声をかけた。
3人とも随分飲んでいるようで、真っ赤な顔をしている。
部屋には空になったワインのボトルが数本、転がっていた。

「どうも、こんばんは」 紗夜が、お姉さんに会釈すると彼女も愛想よく笑顔で答えた。
「はじめまして〜」
「紗夜、この人は彩さんって云ってね、日暮しのお客さん」

昌也が彩に紹介してくれた。
ちなみに、「日暮し」と、いうのは、昌也が務めているラウンジである。
基本的に、男性のお客が殆どなのだから、女性を指してお客さん、と紹介されるのは少々違和感がある。
それでも自宅まで連れてくるのだから、よほど気の合った客なのだろう。
紗夜は散らかったテーブルをパパっと片付け、新しいお酒と簡単なツマミを用意して3人の中に加わった。

「あら、気が利くのね〜」 

彩がニカっと笑う。
ストレートボブに赤い縁のメガネ、青いストライプのブラウスにタイトスカート。
いかにもデキル女風な装いで顔もすこぶる美人。どういう経緯でオカマラウンジに行く事になったんだろう、と、そっちが気になってしまう。

「でっしょ〜紗夜はね、ホント気が利く子なの、料理も上手なのよ〜」

今度は昌也がニカっと笑う。口調はキャサリンだが、姿は昌也のまま。
つまり、今日は仕事に行かないのね。
いくら家に連れて来たからといって、「昌也」の姿を、お客さんに見せるのは如何なものだろう、と心配してしまう。
ま、そういうのをあまり気にしなさそうな人だからいいのかな。
紗夜はそんな事を考えながら、缶ビールのプルリングを引っ張り開け半分ほど一気に飲み干した。
昌也はワイン派、ユリヤは日本酒派、紗夜はビールが好きなので、この家には色んな種類のお酒が常備してある。

「んん?この匂い・・」 

不意に彩が隣に座った紗夜の服に鼻を寄せて匂いをかぎ始めてた。
まるで犬が気になるものの匂いを嗅ぐような仕草に、紗夜は驚いて上ずった声をあげた。

「な、なんですか?」
「この匂い〜お姉さん知ってるわよ〜」
「へ?」
「バーバリーのsport for men」
「あ・・・すごい匂いで分かるんですか?」
「ふふふー好きな香水だからね、でも、これ、メンズ用よ?」
「紗夜、香水なんて付けるっけ?」 ユリヤが訝しげに尋ねた。
「これは・・・」

実は、さっき。
水瀬の車の中で彼を待っている間に、見つけた香水を少しだけハンカチに付けたのだ。
ドキッとさせる水瀬の香りがあったら、彼を近くに感じられるかも・・・。と。
だが、その経緯を説明するのは少々恥ずかしい。

「知っているわよ、この香り。貴志の香水ね、今日、会ってたの?匂いが移るようなことしてきたの?」

は?
はぁ!?どどどどどういうこと〜?
ってか、何で水瀬さんを知ってるの?

「貴志・・・って、あぁ、水瀬に会ってたの?え?そうなの?OK貰ったの?」
「いや、違うけど、・・あ、会ってたのはそうだけど・・・あの、彩さんって何者!?」
「そうだよ、2人とも、まずはそこから説明しないと、紗夜が怪しんでるじゃん」 

ユリヤが呆れたように云う。
焼酎片手にイカの足を噛んでいる。彼女も相当な酒豪だ。

「ごめん、ごめん、私、貴志の同期なんだ。紗夜ちゃんとは部署が違うから会ったことなかったけど、
同じ会社なんだよ〜」
「え!そうなんですか?」
「うん、さっき、キャサリンに聞いたから〜、うちの会社って人数が多いから部署とフロアが違うと顔を合わさないもんね」
「ですね・・・」
「彩さんはね、うちの常連さんの彼女さんで・・あ!常連さんはソッチ系じゃないからね、念のために」

昌也の云う、ソッチ系とは、つまりゲイのこと。
オカマラウンジに来る人はソッチの人も多いが、もちろんノーマルの人もいる。

「でね、私たち話が合っちゃって♪話してるうちに、水瀬の話になったのよ〜」
「ううん・・・、理解し難いけど、まぁ、いいよ、それで?」
「別に紗夜の事を言いふらしてるわけじゃないわよ、ただ、うちの同居人はすごく一途に想ってる相手がいるんだって話をしたら・・・
あれ?どういうわけだったかしら?水瀬の名前が出てきたわね?うふふ」

うふふじゃないわよ、馬鹿昌也!
人の悲しい恋愛事情を酒のアテにしてんじゃないよー!
紗夜は、キリっと釣り上げた目で昌也を睨んだ。

「紗夜ちゃん、そんな顔しないで、あのね、私は紗夜ちゃんに伝えたいことがあって来たの」
「伝えたいことですか・・・?わざわざ・・?」

先ほどまでとは違う、幾分、真剣な表情になった彩に紗夜は警戒心を覚えた。
それは、いつも誰かに言われること。水瀬に恋をしてから、幾度となく言われた言葉。
辞めた方がいいんじゃない?諦めた方がいいよ?忘れなさいって。
そう、振られても諦めない紗夜を諭す言葉。彼女もきっとそうだ。

「あのね・・・紗夜ちゃん」

あぁ、また言われちゃう。
彩さんは水瀬さんの同期って言ってたけど、下の名前を呼び捨てにするくらいだもの、
親しい間柄なんだよね・・・?
そんな人に諭されちゃったら、心が折れちゃうよ。


「紗夜ちゃん・・・・!貴志の彼女になってあげて・・・!」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・・はい?」

それは思いがけない言葉。
そしてその後、彩から聞かされる水瀬の話は想像もつかない話だった。
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