報われない恋だと知っていても

06.見えない気持ち

なんで先輩が怒ってるの?

紗夜は首をかしげて彼を見た。
思えば毎日職場で顔を合わせているものの休日に会うのは初めてのことだ。
Tシャツとジーンズというラフな服装は、普段の彼とまた違った雰囲気を見せている。
そういえば、どうしてあのカフェに来たの・・・?それも1人で・・・
先輩って1人でお茶するようなキャラじゃないのに。

まだ、新人のころ。
江夏と一緒に外回りの仕事へ行ったとき、真夏の暑さに堪えた2人は涼を求めてカフェに入ったことがあった。
その時、彼は、「こんな洒落たカフェは落ち着かない」と、しきりに辺りを見渡していた。
「ファミレスの方がゆっくりできるのに」 とも。

先ほど水瀬たちがいたカフェは珈琲1杯1000円も取られる高級カフェで、安月給の紗夜がやすやす行けるお店じゃない。
そのお店を、「こんな場所で」なんて云っていた麗華は、やはりお嬢様なんだな、と感心したくらいだ。
そんなところへ、江夏が1人で?

「あの、先輩・・・どうしてあのカフェへ来たんですか?」

単刀直入すぎるだろうか?
でも、気になったことを黙ってはいられない。
少し身構えるようにして尋ねた紗夜に、江夏は事も無げに答えた。

「ああ?それは、お前があそこに入って行くのが見えたからだ」
「へ?私が?どうして・・」
「おまえさ、」

江夏がため息まじりに答える。
まっすぐ向けていた視線を、紗夜の方へ向けて少し困ったような表情を作った。

「いい加減、気がつけよ」
「・・・えと」
「まぁ、水瀬さんのことばかり追いかけてるから、周りが見えてないんだろうな」

ちょっと待って、先輩は何を言いたいの?
いや、おそらく・・見当はつく。でも、それを聞いてしまうのは、何だか怖い。
水瀬さんとは上司と部下との関係を壊したいと思ってる。
でも、先輩とは、この関係を壊したくないと思ってる。だから、聞きたくない。
そう思うのは、ずるいことかな・・・。

「あ、あの、先輩!ええっと・・・寒くないですか?」
「おまえ、わざと話を逸しているだろ」
「そんな、ことないですよー、あの、だから」
「いいから聞けよ」
「・・・嫌です」
「はぁ?ここまで言わせといて聞きたくないとかずるくないか?いいから聞け」
「で、でも・・」

江夏が強引な性格なのは、知っていた。
だから確信に触れる前に話を逸らしたかったのに、彼はそれを許さないらしい。
逃げ腰になる紗夜の腕をいつの間にか掴んだ江夏は、彼女と向き合うように体をこちらへ向けていた。
そういえば、あのカフェからここへ来るまで、江夏はずっと紗夜の手を握っていた。
水瀬のことで頭がグチャグチャになっていた彼女は、そのことを深く考えていなかったが、
よくよく考えれば恋人同士でもないのに手を繋ぐのはおかしい。

あ〜、私、本当に馬鹿だ。
どうして、気がつかなかったの?

「高木!俺はずっとお前のこと・・・・」

やだ、やだ、私は水瀬さんのことが好きだもの。
無理だって分かっていても、ダメだって何度言われても諦められないもの。
でも、今の私は弱ってる。
だから、お願い、そんな真剣な瞳でこっちをみないで欲しい・・・。

紗夜は目を瞑っていた。
だから左手を上に取られた時、江夏が掴んでいるのだと思っていた。
でも、彼の「え?ちょっと」という声と、予想以上に引き上げられる腕を不思議に思い目を開けた。

「え?どうして・・・?」

紗夜は口をパクパクさせた。
そして瞬きすることも忘れ、今、自分の腕を掴んでいる人物を見つめる。

「・・・行くぞ」
「え?」
「いいから、早くしろ」

そこからは痛いくらい強引に腕を引っ張られて紗夜の体を浮き上がる。
一連の出来事に惚けていた彼女の思考が定まり、その時やっと、地に足をつけたくらいだ。
どうして・・・?の言葉が頭の中で反芻する。

その頭の中の言葉を止めたのは、江夏の声だった。

「ちょっと、水瀬さん、何してんすか」
「悪いけど、こいつ借りるぞ」
「いや、何言ってんすか、良いわけないでしょ、おい、高木!」
「きゃ・・あ、あの・・・」

今度は江夏が紗夜の腕を掴んだところで、水瀬が上から覗き込むように紗夜を見据える。
普段と変わりない端正な顔だが、その影にほんのわずか怒りを含んでいるように見えた。

「どうするんだ?来るのかここに居るのか?」

って、ええ!?
この状況でいきなり選択肢を与えられても、私はどうすればいいの?
驚いた紗夜は、水瀬と江夏の顔を交互に見やった。
少し考える、でも、答えはいつも決まっている。

「・・・ごめんなさい、江夏さん、私・・・」

先輩でなく、江夏さん。
その言い方に紗夜の心は現れていた。彼の気持ちには答えられない。
自分の気持ちを押さえられない。私は水瀬貴志が好き・・・。

「分かったよ、また、明日・・・会社でな」
「・・・はい、お疲れ様です」
「ああ、お疲れ」

会社の人間とは、休みの日でも会うと別れ際に「お疲れさま」と云ってしまう。
こんなところにまで、「先輩後輩の関係のままでいたい」という紗夜の気持ちは自然に出ていた。


どうしてだろう?
何度断れても、彼の姿しか目に入らない。
何度背中を向けられても、その背中が愛おしいと思ってしまう。
背中をむけながら彼は、いつも私の腕を掴む。
もっと冷たく拒絶されたら、諦めることができたのだろうか?

水瀬は紗夜の腕を掴んだまま、彼女を振り返ることなくスタスタと歩く。
どうせなら手を繋いでくれたらいいのに、と思うが、彼は紗夜の手首を掴んだままだ。
引っ張られると少し痛い、けど、その痛さが今の紗夜には心地よかった。

彼はしばらくそうして歩いたあと、街のコインパーキングで歩を止めた。
見覚えのある青いフェアレディZ、シンプルなもの好む彼にしては唯一派手な所有物だと言っても良いデザリングされたボディー。

「送っていく、乗れ」
「や、でも・・・あの、水瀬さん・・・」
「―――ったく、」

バンッ・・・と鈍い衝撃音をあげて、紗夜は車のドアに押し付けられた。
続いて鈍痛が体を襲ってこなかったのは、水瀬が紗夜の背中に腕を回していたからだ。
ドアに当たって音を立てたのは彼の右腕。息がかかるほど密着した体に、激しい心音が暴走し始める。

何・・?何が起こったの・・・?
今、私・・・彼の腕の中・・・

混乱する紗夜を無視して、彼は射るような視線を上から下ろしていた。
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