報われない恋だと知っていても
04.堅物な上司
恋愛に堕ちいった理由について。
その理由を説明するのは難しい。
だって、恋愛は事故のようなものであり、説明は不可能なもの。
たまたま脇見をしてて深味に嵌ることもあるし、後ろから追突されて、走り出すこともある。
煽られれて、飛び込んじゃこともある。
人生には色んなトラップが仕込まれていて、
それが幸運につながることもあれば、時に残酷な罠だったりする。
でも、それが、例え辛いものだったとしても、私はこのトラップを踏んだことを後悔しない。
その理由は、最後に教えてあげる・・・^^
水瀬貴志について。
転勤して来てしばらくは色んな噂が飛び交った。
そもそも、こんな時期はずれに転勤して来るのだから噂に尾ひれが付くのは仕方ない。
不倫してただの、お偉いさんの娘を妊娠させただの、女子高生に手を出しただの、噂の全ては「女」関係。
何故なら、仕事に関しては完璧すぎるほど完璧でわずか2週間だという期間で、彼が有能だということを周りは認めざるを得なかった。
部下に対して少々厳しすぎる対応も初めこそ反感を買ったものの、それがどれも理屈の通るものであり、
ひいては自分のためになると分かった部下たちは誰も文句を言わなくなった。
そうなれば、突然の転勤理由は女だ。
決断付けるには少し安直すぎる気がしないでもないが、妙に納得してしまうのが、彼の容姿だった。
メンズ雑誌から出て来たような整った顔立ちに、スラリと長い身長。体格は程よくスーツの上からでも胸板が厚いのが分かる。
物静かで落ち着きのある独特な雰囲気を醸し出し、誰ともツルまずそれでいて愛想が悪いわけでもない。
そんなわけで、女子社員から注目が集まるのは当然のことで・・・。
水瀬に恋心を抱いたのは、紗夜だけでなない。同じ部署だけでなく、隣り近所の部署からも大して用がないくせに、
女子社員が何かと用事をつけて覗きにくる騒ぎがしばらく続いた。
大胆にも彼を食事に誘ったり、仕事の相談があると迫った女性も少なくない。
それでも、誰1人として相手にされることもなくあくまで職場の上司という立場を崩さない彼は、いつしか、
「仕事が恋人の堅物」という皮肉の込められたニックネームを付けられていた。
職場の上司部下として再会した紗夜も、他の社員同様、あくまで職場の仲間というスタイルを持ち続ける水瀬にしびれを切らしていた。
ある日の就業後、会社から帰宅する彼の後をこっそり駐車場まで付いて行った。
残業をしていたため辺りはすでに暗くて他の社員の姿も見えない。チャンスとばかりに、車に乗り込もうとしている彼の前にさっと姿を出した。
「水瀬さん、私のこと、覚えていないですか・・・?」
「・・・何の話?」
彼は少しばかり驚いた表情をしたが、すぐにいつものクールな表情に戻り紗夜を見据えた。
至近距離に近づくと気がつく、タバコの香りとそれを隠す香水の匂い。
よくあるフレッシュな香りではなく、ひねりのあるジンジャーの香りが大人の男性だな、と思う。
「前に、BARで会いましたよね・・?」
「前って?」
「えっと・・・1ヶ月くらい前です、そこであの・・」
「そんな前のこと覚えてないけど」
水瀬の表情は陰ってて良く見えない。
けれど、声のトーンがいつもより低くて、少しぞっとする。
「ホントに覚えてないんですか?butterflyってお店で・・マスターが、えっと・・」
「気晴らしに飲みに行くこともあるが、店の名前なんていちいち覚えてないな。そこで会った女もいちいち覚えていない」
「え・・うそ、だって、証明しろって、あの時・・」
キス・・したことも覚えてないの?
あの時、「一途」か、どうかを証明しろと云ったのはそっちなのに。
女そのものに興味を持てないと云ったあの時の言葉は、本当だったんだ。
それともあの時、平気そうな顔をしてたけど、相当酔っていた・・・?
「高木、」
どう言えば思い出してくれるだろう?そんな思考を巡らせる紗夜に、水瀬の低い声が静かに響く。
それと同時に、彼は車のドアを開け中へ滑りこんだ。
「・・・はい」
「お疲れ様」
「え、あ・・あの・・・」
ああ、もう。
水瀬は紗夜の返事を待たずドアを閉めた。運転席に座りステアリングに手を乗せる。
その袖からはあの夜と同じ腕時計が見えた。
なによ、これ、全然、運命じゃないじゃない。向こうが覚えてないなら話にならないわ。
1人で舞い上がってバカみたい・・・。
紗夜は、がっくりと首を下に項垂れた。
「高木、」
もう一度、紗夜を呼ぶ水瀬の声が聞こえた。
顔を上げると、車のエンジンを掛けた状態で窓を開けこちらを見ている彼と視線がぶつかった。
怪訝な表情をした紗夜を下から見上げるようにして、不敵な笑み、あの時と同じ顔だ。
「ウィスキーをロックで飲む女は可愛くない。覚えておけ」
彼はそれだけ言うと、アクセルを吹かしてその場から走り去った。
ブーンと響い重低音がしばらくの間、聞こえ、やがて街の喧騒の中へ溶け込み聞こえなくなる。
なによ、それ・・・・覚えてるんじゃない。
覚えてて、忘れてるフリしてたんだ・・・。もういい、決めた。
絶対、夢中にさせてやるんだから。